令和5年度 第1回 四国中央市 ~川之江城~
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7月22日(土) 10:00~12:30
川之江高校 (Love&Peace)
「高校生が語る!川之江城の秘密!!」
① 尾藤二洲顕彰碑
城下駐車場から天守閣へ上る途中にあります。
尾藤二洲(びとう じしゅう、1747~1813年)は、四国中央市川之江町出身の儒学者で「寛政の三博士」と称されています。
川之江地域の小学校では、尾藤二洲の伝記などを学習するそうです。
② 姫ヶ嶽
川之江城の山頂駐車場手前にあります。
1582年、川之江城主の川上但馬守は、三島神社への参拝の帰途、家来の裏切りにより殺され、城も攻め込まれ落城しました。但馬守の娘・年姫(としひめ)は、亡き父を追って崖から海に飛び込んだと伝えられています。
この悲話を知った与謝野晶子の歌碑も設置されています。
③ 三の丸平和像
山頂駐車場から少し下った三の丸広場には、多数の桜が植えられています。毎年4月の第1日曜日には「桜まつり」が開催され、多くの花見客でにぎわいます。
また、広場を見渡せる所に、戦没者慰霊のための平和像があります。
④ 涼櫓
二の丸にある2つの櫓のうちの1つで、中には8畳の部屋が2つあり、お茶会などが開かれます。また、櫓の中からひうち灘などを一望することができます。(写真は櫓門)
⑤ 櫓門
二の丸のもう1つの櫓で、侵入した敵を弓矢や鉄砲で攻撃できるようになっています。
⑥ 本丸、天守閣
櫓門をくぐり、少し登ったところが本丸です。
川之江城は、南北朝時代の1337年、伊予の河野氏が、讃岐守護・細川氏の侵略に備えて武将の土肥義昌(どひ よしまさ)に命じて築かせました。武運長久を願い、城内に仏像を運びこんだことから、別名「仏殿城」と呼ばれるようになりました。
しかし、伊予・讃岐・土佐・阿波を結ぶ交通の要所であったため、戦国武将の抗争により何度も落城し、江戸時代初期には廃城となりました。
現在の天守閣含む城山公園は、1986年、旧川之江市制施行30周年記念事業として整備されました。
天守閣内部には資料展示もあり、最上階の展望台からは川之江地域や燧灘を一望できます。