西条市


令和5年度   第5回   西条市~小松町~

□ 開催日時:

11月25日(土) 10:00~12:30


 

ルート紹介


 

スポット紹介


❶ 近藤篤山両親墓所(本善寺内)

 本善寺は小松藩内で最も古いお寺で、藩士の墓も多くあります。ご本尊は平安末期から鎌倉初期の作とされる阿弥陀如来像です。

 正門は四脚門という、2本の親柱の前後にそれぞれ2本、計4本の控え柱を設けた門です。扁額(へんがく)は、書に長けていた小松藩三代藩主、一柳直卿(ひとつやなぎ なおあきら)が書いたものです。

 近藤篤山の両親のお墓は、門を入って左奥にあります。


❷ 近藤篤山旧邸

 近藤篤山が40歳から80歳まで、40年間住んだ屋敷跡です。県指定文化財で、県内で公開されている唯一の儒学者の武家屋敷です。

 篤山が小松に招かれて以降、当時の最高学府である江戸の昌平黌(しょうへいこう)へ小松から入学する者が増えました。篤山の教えは弟子たちに受け継がれ、明治維新後も人材を多数輩出したそうです。


❸ 小松藩陣屋跡

(1)小松藩陣屋跡

 近藤篤山旧邸から10分ほど歩いた住宅街に、陣屋跡の石碑があります。

 1636年、一柳直盛が初代藩主として西条藩へ赴く途上で急死した後、長男の直重が西条の3万石、次男の直家が川之江の1万8千石、三男の直頼が小松の1万石を与えられました。そして同年、直頼によって小松藩のお城に当たる陣屋が造られました。

 小松藩陣屋には、2つの櫓門と3つの門があり、太鼓櫓、藩邸、御殿、家臣の住居そして厩(うまや)などがあったそうです。現在は石碑と案内板が残っているだけですが、下記の通り一部が移築されています。

・佛心寺(小松町):会所、姫門、待合場所

・明勝寺(小松町):太鼓櫓

・覚法寺(氷見):御竹門

・徳蔵寺(広江):坂下門

(2)大木戸跡(おおきどあと)

 陣屋跡の近くに、参勤交代の出発地であった大木戸跡があります。ここから出発した大名行列は、JR小松駅を超えた川岸から舟で今治、大阪を経由して江戸へ向かいました。大阪では、参勤交代の見栄えをよくするために人を雇ったそうで、出発時20人程度だった行列を100人ほどに増やして江戸まで行ったそうです。

 


❹ 小松藩校・養正館跡

 陣屋跡から2分ほど歩いた場所にあります。

 1802年、七代藩主・一柳頼親(ひとつやなぎ よりちか)が藩校「培達校(ばいたつこう)」を開講します。翌1803年、高名な儒学者・近藤篤山を迎え、藩校の名を「養正館(ようせいかん)」と改めるとともに、江戸の制度を取り入れ、施設の拡充と教育内容の充実に努めました。

 なお、聖廟が近藤篤山旧邸近くの常盤神社に移築されており、また蔵書の多くは小松温芳図書館の郷土資料室に保存されています。


❺ 女子教育発祥の地碑

 小松公民館の裏にあります。

 1858年、近藤篤山の弟子・丹信積(たん のぶずみ)の妻、丹美園(たん みえ)が愛媛県で初めて婦女子のための寺小屋を開き、読み書きや裁縫などを教えました。


❻ 小松温芳図書館・郷土資料室

(1)明勝寺門跡

 小松温芳図書館はもともと、子安中学校や実用女学校で校長を務めた一柳春治(ひとつやなぎ はるじ)が、明勝寺跡に建てた私設図書館でした。「温芳」という名前の由来は、近藤篤山の書斎「尋芳堂」と、篤山の長男・南海の書斎「温巣堂」から一字ずつとったものです。

(2)小松実用女学校跡地

 小松公民館の前に、かつて小松実用女学校があったことを示す石碑があります。

(3)郷土資料室

 小松温芳図書館の2階にあります。

 藩陣屋や小松藩校・養正館の模型、養正館の聖廟に掛けられていた掛軸、所蔵されていた数万点の書籍、全国的に有名になった小松藩会所日記の原本などが所蔵、展示されています。

東予歴史トリップ開催日の展示は、「近藤篤山と小松の教育」というテーマで、近藤篤山の書や、小松にゆかりの教育資料が展示されていました。

 


❼ 佛心寺

(1)正門

 正門の扁額は、三代藩主・直卿の書です。

(2)庫裏(元・小松藩会所)

 正門右側、鐘の奥にある庫裏は、小松藩陣屋から移築された小松藩会所です。藩のさまざまな事務作業が行われていた建物で、会所日記もここで書かれました。

(3)供待(待合所)

 正門を入って右側にあるのが、同じく陣屋から移築された待合場所で、陣屋遺構の中でも珍しいものです。

(4)本殿

 陣屋遺構ではありませんが、明治時代に建てられた貴重な建物です。

(5)御霊門(みたまやもん)

 境内の北側にあるのが、小松藩の家紋(丸に釘)が透かし彫りされた御霊門で、もともと藩主墓所の入口にあったものです。

(6)姫門(桜門)

 御霊門を出て60メートルほど西に進み、北に曲がったところに陣屋から移築された門があります。

 陣屋の東側に位置していた裏門で、通称、姫門または桜門と呼ばれます。姫門の名前の由来は、お姫様が通用口として使っていたことだそうです。

 門は薬医門(やくいもん)という造りで、お城や家によく使われます。特徴は本柱と控柱が2本ずつあり、屋根の中心が柱の中心とずれていることです。これには控柱が雨によって腐食するのを防ぐ効果があります。本善寺正門の四脚門と造りが異なります。

 


❽ 黒川通軌中将墓所

 西条市小松保健センター前の道を小松高校へ向かう途中に黒川通軌中将墓所の案内碑があります。

 幕末の小松藩に生まれ、明治政府で活躍した軍人である黒川通軌(くろかわ みちのり)とその一族のお墓です。正面にあるお墓が黒川通軌のお墓です。

 黒川通軌は近藤篤山の長男である近藤南海に学び、1873年に陸軍大佐、1877年の西南戦争で陸軍少将に進み、1885年には中将へ昇進し、皇太子時代の大正天皇の教育係も務め、1903年に亡くなりました。墓所には、大正天皇から賜った灯籠もあります。

 


❾ 近藤篤山墓所

 西条市小松保健センター前の道を小松高校へ向かう途中にあります。

 正面奥、左が近藤篤山、右が妻・会田(あいだ)氏のお墓です。近くには、父・篤山に続いて小松の教育に力を注いだ長男・南海、次男・簣山(きざん)のお墓もあります。

 墓所左奥にあるのが篤山の顕彰碑で、小松温芳図書館に拓本が展示されています。


❿ えひめ教育資料館

 小松高校の養正会館内1階にある、チームカメリアの皆さんが中心となって整備した資料館です。

 整備のきっかけは、チームカメリアの皆さんが、小松町から発信できる歴史や文化を研究する中で、近藤篤山の招へいや、丹美園による寺子屋開校といった出来事から、小松町が「教育の先進地」だったと認識するようになったことだそうです。そして、小松地区だけでなく、県全体の教育を象徴する場所を作りたいと考え、「えひめ教育資料館」を整備することにしたそうです。

 館内は「小松の教育に関するパネル展示」、「小松高校や小松地区に残る教育資料」、「愛媛県全般の教育資料」の大きく三つに分けて展示されています。



リハーサルの様子

本番の様子


 

 

ハートネットワークさんに取材いただきました !