令和5年度 第4回 新居浜市~口屋~
□ 開催日時:
10月22日(日) 10:00~12:30
❶ 口屋跡記念公民館
1691年の別子銅山の開坑を契機に、新居浜のまちは発展していきます。1702年、別子銅山でとれた銅の運搬拠点として「新居浜口屋(浜宿)」が開かれ、ここから大阪や長崎を経由してオランダや清へ輸出されました。
現在の公民館敷地内の松(写真)は「あかがねの松」といい、口屋ができた当時から新居浜を見守っています。
❷ マナベ小児科
口屋記念公民館のすぐ近くにあります。
1931年に藝備銀行(現在の広島銀行)新居浜支店として建築されたアール・デコ様式の建物です。
小児科は1968年以来長く新居浜の子どもたちを見守ってきましたが、2019年6月に閉院しました。
❸ 小女郎狸
一宮神社の一番樟に住んでいたという小女郎狸伝説をモチーフにした、狸が姫に変身した姿の石像が本町通りにあります。1930年頃にはこの地にすでに立っていて、90年余このまちの移り変わりを見守っています。
❺ 昭和通り
1931年に完成した昭和通りは、その後、本町通りにとって代わり、戦後は多くの店が並ぶ新居浜一の通りとしてにぎわいました。
銅山がなくなっても新居浜のまちが繁栄するようにと願った鷲尾勘解治さんの思いが込められたストリートです。
❻ 銀ビル
1955年、モデル商店街の建設が議決され、翌年銀ビルが完成しました。
銀ビルはモデル商店街と昭和通りに隣接し、周辺は当時の最先端のお店が並び、見上げると展望回転レストランがあるビルもありました。
❼ 銀泉街
1955年以来、新居浜小学校跡地に計画的に建設されました。市民の娯楽設備を完備したモデル商店街を目指し、公園や映画館が建設され、放射同心円状の街路が造られました。
❽ 銅夢・銀泉公園 新居浜小跡
新居浜小学校跡の碑があります。当時最先端の都市計画、再開発に基づいた、市民の憩いの広場がありました。
❾ 登り道
1951年に住友別子鉱山鉄道が開通するまで、銅の輸送路として使われていました。その後、登り道は新居浜市の中心商店街となり、たくさんの店舗が立ち並び、映画館や劇場も複数あり、アイススケートリンクもあったそうです。昭和通りが東西のメインストリートならば、こちらは南北の大動脈です。
⓫ 口屋カナル
口屋の対岸が埋め立てられ、1933年以来、化学系の工場になっています。近年、運河に架かる大江橋の東側が埋め立てられました。
秋の新居浜太鼓祭りでの船御幸運行が隔年で行われたり、遠く石鎚山を仰いだり、情感あふれるカナルの風景が見えます。
ハートネットワークさんに取材いただきました !