四国中央市


令和4年度 川之江高等学校 Love & Peace:テーマ「川之江城」

 伊予の東端、讃岐・阿波・土佐に通ずる重要な場所にあり、移り変わる歴史を見つめてきた川之江城は、今は市民の憩いの公園として親しまれています。城の歴史を通じて地域の歴史を掘り下げました。

川之江高等学校が川之江城をテーマに制作したポスター。撮影場所は「川之江城天守閣」。伊予の東端に位置し、讃岐・阿波・土佐に通ずる重要な場所にある川之江城。別名「仏殿城」とも呼ばれるこの城は、南北朝時代に伊予の太守 河野氏が讃岐を支配する細川氏の侵略に備え、部将の土肥義昌に命じて築かせた。その後、旧川之江市制施行30周年記念事業として、模造天守を中心とした城山公園が整備され、春には満開の桜と城を楽しむ家族連れや観光客で賑わう名所となっている。
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川之江城

 

四国中央市 川之江城天守閣

 


伊予の東端に位置し、讃岐・阿波・土佐に通ずる重要な場所にある川之江城。別名「仏殿城(ぶつでんじょう)」とも呼ばれるこの城は、南北朝時代に伊予の太守(たいしゅ) 河野氏が讃岐を支配する細川氏の侵略に備え、部将の土肥義昌(どひよしまさ)に命じて築かせた。その後、旧川之江市制施行30周年記念事業として、模造天守を中心とした城山公園が整備され、春には満開の桜と城を楽しむ家族連れや観光客で賑わう名所となっている。公園整備の際に築かれた石垣のどこかに、わずかに残ると伝わる築城当時の石垣の一部が、川之江城の土台と歴史を守り続けている。 


川之江高等学校が川之江城をテーマに制作したポスター。撮影場所は「川之江城から望むひうち灘」。川之江城は南北朝時代に築かれた歴史ある平山城である。かつて交通の要衝であった川之江の玄関口として、招かれざる者を拒むかのように断崖絶壁にそびえ立っていた。重要な要塞であったため、長年にわたり戦が行われた。城主 河上但馬守の息女が海に身を投げたとされる「姫ヶ嶽」の伝説もこのときに起きた悲劇である。江戸時代初期に廃城となったが、昭和61年(1986)に現在の天守が建築され、その歴史を受け継いできた。
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川之江城

 

四国中央市 川之江城から望むひうち灘

 


川之江城は南北朝時代に築かれた歴史ある平山城である。かつて交通の要衝であった川之江の玄関口として、招かれざる者を拒むかのように断崖絶壁にそびえ立っていた。重要な要塞であったため、長年にわたり戦が行われた。城主 河上但馬守(かわかみたじまのかみ)の息女が海に身を投げたとされる「姫ヶ嶽(ひめがたけ)」の伝説もこのときに起きた悲劇である。江戸時代初期に廃城となったが、昭和61年(1986)に現在の天守が建築され、その歴史を受け継いできた。現在は地域住民の憩いの場としても利用され、山頂から川之江の街を静かに見守っている。


フィールドワーク&グループワーク

2023年1月25日(水)、地域の歴史の変遷を物語る川之江城を舞台に、川之江の歴史や地域の偉人について学びました。雪のちらつく寒い中でしたが、地元の高原ミュージアムの学芸員さんの案内で川之江城周辺に点在する史跡を巡り、地域の歴史を物語る景色を思い思いに切り取っていました。


参考文献