瀬戸内の航行の安全を司った村上海賊の拠点のひとつ、岩城島にあった亀山城は、今は神社として島の生活に溶け込んでいます。時代の変遷を物語る史跡を訪れて、島の歴史を学びました。
岩城島
薄衣をまとった青空の下、岩城港の東の岬に大きくそびえる岩城八幡神社。かつてそこは亀山城といわれた城であり、築城の主は村上修理亮敬吉(むらかみしゅりのすけたかよし)という海賊の首領であった。この海賊とは、瀬戸内海を航行する船舶が通行税を払う見返りに航行の安全を保障するという海賊方警固衆だ。亀山城丘陵南端の海岸部には干潮時に見られる九つの岩礁ピットが存在する。その中でも南端の2基は鳥居用の柱穴であったと考えられている。海から城へと続く長めの通路の脇には、弓矢を携えた海賊が控えていたのかもしれない。
岩城島
きめ細かい彫刻や古びた木の雰囲気から神聖さが感じられる。岩城八幡神社の由緒は、平安時代中期の武将である伊予守源頼義(いよのかみ みなもとのよりよし)が伊予国内に建立した7社のうちの一つと伝わる。室町時代に神忠という人物が遷宮し、2度の改築を経て村上家や氏子中らが幾度も社殿を造営した。明治3年(1870)までは亀山八幡宮と称し、岩城八幡神社と改められて今に至る。現在10月に行われる秋の大祭は五穀豊穣を願い、江戸時代から続くものだ。だんじり・神輿・浦安の舞・海原(かいばら)獅子を奉納し、地域の人々で賑わう場所となっている。
2023年1月17日(火)に行ったフィールドワークでは、岩城島の歴史を物語るスポットを巡り、撮影に挑みました。幼い頃の遊び場やお祭りの舞台として親しんでいた神社がかつて村上海賊の拠点だったことを、学芸員さんから現地でお話しいただき、地形や遺構から当時の風景を思い描くことができました。
参考文献
岩城村誌編集委員会編『岩城村誌』「三 岩城島の由緒」岩城村(1986年)
岩城村誌編集委員会編『岩城村誌』「七 岩城島のなかの伊予水軍」岩城村(1986年)
岩城村郷土誌編集委員会編『伊予岩城島の歴史』「第二章 伊予水軍の伝統」岩城村教育委員会(1971年)
岩城村郷土誌編集委員会編『続 伊予岩城島の歴史』「第三編 岩城島の宗教と民俗」岩城村教育委員会(1971年)
愛媛県生涯学習センター『昭和を生き抜いた人々が語る 瀬戸内の島々の生活文化』「2 瀬戸内海の代表的な社叢」の「(12) 岩城八幡神社社叢」愛媛県生涯学習センター(1992年)